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福井地方裁判所武生支部 昭和51年(わ)12号 判決 1977年1月24日

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実は、

被告人は、昭和五一年三月三日午後九時二〇分ころ、〓江市丸山町六〇八番地先路上において、交通取締中の福井県警察本部警備部自動車警察隊勤務の司法巡査城忠和(二八年)、同大下敏彦(二二年)の両名から信号無視及び酒気帯び運転の疑いで取調べを行うために、同地先路上に停車するパトカーまで任意同行を求められたが、これに応ぜず、「うら酒なんて関係ないぞ。」などと言いながら、自己の運転する普通乗用自動車に乗り込み発進しようとしたので、被告人の酒気帯び運転による危険を防止するために、大下巡査が運転席窓から手を差し入れ、エンジンスイツチを切つたのに憤激し、やにわに「お前らなんじや、やるんならやるか。」などと怒号しながら車外に出てきて、両手で大下巡査の胸倉を掴み、押したり振り回すなどの暴行を加え、さらにこれを制止した前記城巡査の胸倉を掴み押したり、靴穿きの足で蹴りつけ、左手拳で右顔面を殴打するなどの暴行を加えたうえ、さらに両巡査が被告人を公務執行妨害の現行犯人として逮捕しようとするや、「この若いのがなにをするんにや。生意気な。あとでどうなるかわかつているやろうな。」などと怒号して大下巡査の股間を数回蹴りつけ、付近の空地にあつた長さ約七〇センチメートル、直径約三〇センチメートルの土管及び一八リットル入りブリキ罐を持ち出して振り上げながら両巡査を追いまわし、右土管及び空罐を大下巡査目がけて投げつけるなどの暴行を加え、もつて右両巡査の職務の執行を妨害するとともに、右暴行により大下巡査に対し加療約一週間を要する前頸部、陰部打撲傷、城巡査に対し全治約一週間を要する右口唇部切創の各傷害を負わせたものである。

というのである。

二、被告人、証人城忠和(第一、第二回)及び同大下敏彦(第一、第二回)の当公判廷における各供述、証人斉藤孝の尋問調書、当裁判所の検証調書、司法警察員作成の昭和五一年三月一七日付写真撮影報告書によると、被告人は、昭和五一年三月三日午後九時過ころ、〓江市丸山町六〇八番地先路上において、交通取締中の福井県警察本部警備部自動車警察隊勤務の司法巡査城忠和(二八年)、同大下敏彦(二二年)の両名から信号無視及び酒気帯び運転の疑いで取調べを行うために、同地先路上に停車するパトカーまで任意同行を求められたのに、これに応ぜず、「酒なんて関係ない。」などと言つて、自己の運転する普通乗用自動車に乗り込み発進しようとしたこと大下巡査はこれを防止するため右自動車の運転席窓から手を差し入れ、エンジンスイツチを切つたこと被告人はこのことに立腹して、右自動車から下車し、両手で大下巡査の襟首を掴んだことからもみ合いとなり、襟首を掴んだまま同人を押したり引いたりし、同人の前頸部に打撲傷を負わせたことが認められる。それで、被告人の大下巡査に対する右行為が公務執行の妨害に該るかについて判断する。右行為は大下巡査の右エンジンスイツチを切つた行為に対してなされたものであり、右大下巡査の行為はその職務の執行として為されたものであることは前記認定事実によつて明らかである。ところで公務執行妨害罪における職務の執行は適法なものでなければならないところ、右大下巡査の職務執行は適法なものであると認めるに足る証拠はない。右大下巡査の行為が、被告人に対し任意同行を促すためになされたものとしても、被告人は前認定のとおり任意同行に応ずることを拒否しているのであり、前掲各証拠によれば被告人は同人らに同行に応じなければならない根拠の有無について説明を求めたのに、同人らは右求めに応ずることなくただ同行することを求めていたことが認められるので、このような被告人に対しその自動車のエンジンスイツチを切るというような実力を行使してまで、同行を促すことは任意同行の域をこえており、適法な職務行為とはいえないといわなければならない。又右大下巡査の行為が、警察官職務執行法五条による制止としてなされたものであつたとしても、右大下巡査によつて制止されたのは被告人の運転行為であるところ、被告人の右行為が犯罪となるということを認めるに足る証拠はない。大下巡査は当公判廷で証人として、エンジンスイツチを切つたのは被告人の酒気帯び運転による危険を防止するためになされたものであり、被告人が酒気を帯びていることは被告人の口臭によつて知つたと供述している。たしかに酒気帯び運転は道路交通法六五条の禁止するものである。しかし、アルコールの影響により車両等の正常な運転ができないおそれがある状態の場合あるいは身体に政令で定める程度以上にアルコールを保有する状態にあつた場合以外は犯罪とはならないし、右おそれとは正常な運転の能力に支障を惹起する抽象的な可能性一般を指称するものではなく、その可能性は具体的に相当程度の蓋然性をもつものでなければならないと解すべきである。したがつて、被告人の口臭に酒臭があつたことを理由に直ちに被告人の自動車運転が犯罪に該ると断定することはできない。大下巡査の当公判廷における被告人の酒臭は強くぷんぷんと臭つたとの供述はにわかに措信できないし、大下巡査において被告人が正常は運転が出来ないと相当程度の蓋然性をもつて認定できるような事実あるいは被告人がその身体に政令で定める程度以上のアルコールを保有する状態であるとの事実を認識していたことを認めるに足る証拠はない。なお山中ともえ、石田二三代の司法警察員に対する各供述調書及び被告人の当公判廷における供述によると、被告人は大下巡査によりエンジンスイツチを切断された時以前に二軒の店でビールを飲んでいることが認められる。しかし、その飲酒量は明確でないし、被告人の当公判廷における供述によつて認められる事実すなわち被告人は同日午後一一時頃までに飲酒検知を二回にわたりなしたのに何の反応もなかつたという事実を考えると、疑いの余地なくして、被告人が、右エンジンスイツチ切断時、アルコールのため正常な運転ができない状態であつたことあるいはその身体に政令で定める程度以上のアルコールを保有する状態であつたことを認定することはできない。

そうすると大下巡査の右行為は適法になされたものとは認められない。したがつて被告人の大下巡査のエンジンスイツチ切断行為に対する右行為は、公務執行妨害罪における暴行に該当しない。そして右行為によつて大下巡査に対し前記のような傷害を負わせたとしても、右行為が右大下巡査の行為に対する防禦の程度をこえる違法な行為であるとまで認定できるような証拠はない。したがつて被告人は右傷害についてその罪責を問われる理由はない。

そして前掲各証拠、医師伊与暁洋作成の診断書、弁護士加藤〓一作成の健康診査簿謄本によると、城巡査は前記被告人と大下巡査がもみ合つていた際右二人の間に割つて入るようにして大下巡査の襟首をつかんでいる被告人の左手拇指を外側に押し曲げるようにして、これを離させたことそのため被告人は加療約二三日間を要する左手拇指疼痛及び運動障害の傷害を負つたことそれで被告人は城巡査の胸倉を掴んで押したり引いたりしたこと、右両巡査は被告人を公務執行妨害罪の現行犯人として逮捕しようとして被告人にくみつく等してもみ合つたが手錠をかけるまでに至らず、かえつて被告人から土管やブリキの空罐を放り投げられて脅されたこと本件現場において城巡査は加療約一週間を要する右口唇部切創の、大下巡査は前記傷害の外に加療約一週間を要する陰部打撲傷の各傷害を受けたことが認められる。

ところで前記各傷害が被告人のなんらかの行為によつたものであるとしても、それは被告人により、右両巡査に対し積極的に攻撃するため、故意になされたということを認めるに足る証拠はない。

そして前記のとおり、大下巡査のエンジンスイツチ切断行為が適法な職務行為であると認められないのであるから、右行為が適法であつてはじめて適法な職務行為となり得る城巡査の被告人に対する制止行為並に両巡査の被告人に対する公務執行妨害の現行犯人逮捕行為はいずれも適法なものとは認められないといわなければならない。したがつて前記のとおり被告人が両巡査において右行為をなすにあたり同人らに暴行、脅迫を加えたとしても、公務執行妨害罪の罪責を問われることはない。

三、以上の次第で、本件公訴事実は犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡しをする。

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